はじめに

 
 2005年8月15日 尾瀬沼 パナソニックデジタルカメラ 長男撮影
                        山と花とそして人との出会い

私が、野生植物に興味のきっかけは、高校生の時、今は廃刊になっていますが月刊誌「ガーデンライフ」の巻頭グラビアに日本に自生しているサクラソウの特集でした。その美しさと種類の多さに目をみはり、いつの日がすべて見てみたいと思いました。

76年谷川岳の高山植物を撮影して以来、野草撮影に夢中になりました。また、当時、高尾ユースホテル(廃館)において行われた自然観察会に参加しムササビの他、四季の植物観察会に参加し、当時ユースの運営していたSさん・Haさんにいろいろ教えていただき、のちムササビ観察において活躍されるOkさんと知り合えました。

83年、奥武蔵の主峰・武甲山にてTさんと偶然知り合ったことから、私の山行きスタイルは完全に切り変わりました。それ以前は、山歩きが主であり、野草撮影はそれに追随するようなものでした。が、Tさんと紹介していただいたMさんと行動することにより、山歩きスタイルが完全に野草撮影になりました。

二人に同行することにより、撮影方法・構図の取り方・野草をみつけるための心構えなど数多く教えていただきました。私にとっては師に当たるような人です。

さらに、山で知り合った大ベテランのKさんも加わり、4人で行動することが多くなり、kさん通じて友人になりました栃木県在宅のFさんには、後日私の結婚式の司会までしていただきました。Fさんを通じて野草撮影の大ベテランYさん。珍しい野草の探し方、情報の集め方を教えていただきました。

ますます野草撮影にのめり込んでいき、84年から結婚するまでの三年間は、ほとんど毎週、花を求めて山へ、野へ、高原へ海へ出かけていました。若さもあり毎週夜行日帰りで撮影の強行軍もありました。当時は、今のようにネットもなく、地方発行の植物図鑑をたよりに、やみくもに出かけ、目的の花と出会えた時の喜び、見つけられなかった時の空しさ・荒らされた自生地見ての怒り・・・繰り返しながら。

その後、結婚・子供の誕生とその成長期・受験期を迎え、店舗の改築や自営業においての煩雑さも加わり独身時代のように、数多く撮影には行けなくなりました。一時は、年に数回しか行けな年もあり、数年は年に10〜12回くらいしかいけないことが続きました。
12年以後、徐々に活動を始め、14年12月からほぼ連続毎月登山が現在まで続いています。が大半は高尾山通いになっています。

撮影を通じて新たな友人に恵まれました。高尾山においてUさんとAさんと出会いました。Uさんは、後に高尾山の野草における大家として知られています。Aさんは野生ランを見つけるのが名人で、お酒好きなところからラン探索酒仙人といわれるほどに。

体力あふれる行動力と素晴らしい探草力のあふれるKiさんとは、ともに数多くの珍しい野草に出会い、。喜びをわかちあいました。Hさんはスミレやマメ科に詳しく、人里に咲く花の面白さを教えていただきました。

食虫植物好き仲間のSmさん、Kaさん。毎年お盆休みの渡良瀬遊水地の自生地周りは恒例になりました。Kaさんは、日本全国のムシトリスミレを研究していて、いろいろ勉強させていただきました。

富士山周辺の山では、Nさん・YaさんNaさん・Sさん・SNさん・Wさんにお世話になり、楽しいひとときを得ることができました。

高尾山では、Uさん・Aさんの他、いくつかの出会いがありました。うらやましいほど行動力あるTahさん。高尾山の生き字引さん・歩く植物図鑑さんをはじめ、高尾山の花の魅力にとりつかれた多くの人にお世話になっています。ただ、逆に裏切られた人・愛想をつき絶縁した人もいまして、この山での出会う人はやや慎重になっています。また、いろいろなグループがあり、いろいろ人間関係があるみたいですが、あまりかかわりたくありません。

87年に入会して、今日に至るまで所属しているハイキングサークルAの皆様にはたくさんの山での思い出を作ることができました。山野草咲く頃は迷惑をかけると思い、私が参加したのは晩秋から冬にかけての山行が主でしたが、なかには一人ではなかなか行けない花の名山にも連れて行っていただきました。残念ながら21年に人数不足により解散しました。

ただ、貴重な野草撮影のため、お付き合いできる人は限らせていただき、数は増やしてはならないと思います。

その他の多くの人からも、たくさんのの感化を受け、また多大なる便宜をいただきました。感謝の気持ちで一杯です。今は少ない休みと小遣いをやりくりして、撮影を続けています。最近は小遣いの関係上、近場ばかりですが。

                        このHP立ち上げに当たりまして

99年にパソコンを購入し、まずは、過去に撮影していた写真を保護の目的でデジタル化を考え、翌年にフィルム・スキャナーを購入。さらに、00年に仕事用のHPまるしんお米通信 を開設しました。そして、趣味の野草撮影の記録の証を残したいと思い、このHPを立ち上げました。はじめは、HP「らん・欄・ラン(廃止)」を無料サーバーにおいて開設しました。

当時は、野生ランとスミレ・サクラソウの三種でしたけれど、容量の多い他の無料サーバーに乗り換え今まで撮影した全種をアップしようと思い、2002年はじめたのが、「花追い記(廃止)」です。

04にブログ・まるしん米屋のときどき日記をスタートさせました。今では本業の米屋のことより、山歩きのことが多く書いています。

そして、このHPもCM入りの無料サーバーから有料サーバーに切り替え、05年に「野生植物花追い記」を。

更新を重ねていくうちに、まずフィルムスキャナーが不調が気がつかず不本意な写真を掲載していたこと。そして、そのための写真の総入れ替え。

また、08年よりデジカメ一眼が主役になったこと。(09年はデジカメ一眼、壊れたので新規購入まで一時期フイルム一眼)さらに、文章においても統一性が失いつつあり、訂正しなければならないところが、増え続けました。

さらに、撮影地や撮影地紹介者をよりシークレットにする必要性が高まり、つたない文章上での迷惑等を考え、どうせならば、作り直したほうが早いのではと思い、09年に四回目の全面大改定にすることにしました。

改訂中に、かなり多く間違いの箇所を気づかずにUPしていることがわかりました。恥ずかしい限りです。改訂は必要でした。

そして19年12月、今回五回目の大改訂に至りました。00年にこのHP制作はホームページビルダー6を、ウインドスパソコンME ・XP・7・10と移り変わりましたが、使い勝手よくそのまま使用していました。19年10月パソコン新調したのをきっかけにホームページビルダー2020を購入。私にとっては、かなり高い支払いになってしまい、ならば作り直そうと安直に思いました。 

今回の五回目の大きな改訂は、写真の追加ならび撮影手記の大幅な書き直しです。また、バラバラであったフレームをある程度統一しました。もちろん、間違いの訂正も(半端なく多かった)

植物の属性ならび特徴や分布は、参考書籍より抜粋しました。(とくに、分布・特徴は、山と渓谷社 野に咲く花・山に咲く花・高山に咲く花を主に参照 ランは小学館の野生ランを主に)

原則として自生している野生植物としていますが、例外として、古くから日本の里山や農村の田園風景のなじみでもあり、風物詩でもあるゲンゲスイセンウメはあえて栽培品・植栽を掲載しました。

また、ムジナモは自生地では絶滅しており、栽培下で継投保存しているのが現状。羽生市さいたま水族館で栽培されているのを掲載しました。いつの日か野生に復活したムジナモを見たいものです。なお、帰化植物は、目立つ種を掲載しています。

原則的に五十音順になっております。
また、このHPは私の撮影の記録を赴きにしており、図鑑的要素は申し訳ありませんので、期待しないでください。

年は西暦、撮影日以外の文章においては、上二桁は省略、例1990年は90年 2010年は10年。2013年は13年。

高尾山で撮影したのは、保護のため高尾山・城山・景信山・南高尾・北高尾を撮影したのを全て高尾山にしています。

追伸
83年以前、ネガフィルムで撮影し、それをポジ(スライド)に焼き直したのもデジタル保存をしたのを追加します。かなり撮影はヘタですが、今となっては撮影に行けない花や山々の記録を残して置きたいので。

妙義山にて
主な使用機材
                    銀塩カメラ
Canon AE−1 A−1 F−1
FD50・100・200ミリマクロ・FD28ミリ・35ミリ、タムロン90ミリマクロ・コシナ24ミリ
FD35〜70ミリズーム

Canon EOS−1
EF50・100ミリマクロ・EF35・EF28〜105ミリ・EF200ミリ・タムロン90ミリマクロ
シグマ24ミリ・トキナー400ミリ


APSサイズ一眼レフ
                    デジタル一眼
Canon Kiss Digital
Canon EOS 40D
Canon EOS 50D
Canon EOS 70D
EF50マクロ(80ミリ相当)タムロン90ミリマクロ(144ミリ相当)
EF200 F2.8(320ミリ相当) EF17〜30 F2.8 EF18〜55 F3.5 5.6 
EF75〜300 F4〜5,6

フルサイズ一眼レフ

Canon6DMarkU

EF50マクロ F2.5 EF1000マクロ F2.8 EF28〜125ズーム F4 EF75〜300 F4〜5,6
マクロタムロン90ミリマクロ 

ミラーレス一眼

EOSR 7

RF−S18〜150 STM  EF RFコンバーター EF50マクロ(80ミリ相当)RF35ミリマクロ(56ミリ相当)
RF85ミリマクロ(135ミリ相当 EF1000マクロ F2.8(160ミリ相当) RF100〜400ズーム  2倍テレコン

                  コンパクトデジカメ
オリンパスT-G4  オリンパスTG−6
ニコン・クールピクスB600
キヤノン・SX70 HS

東芝ストロボ・ジッオ三脚・ SLIK三脚・コンビニ半透明傘・アンブラ傘
使用フィルム・フジプロビア100・ベルビア50・その他(今では販売されていないボジフィルム)
ニコンフィルムスキャナー Nikon COOLSCAN3

05年までは、全てポジフィルムからフイルムスキャンしたものです。また全てマニァル撮影です。
83年以前はネガフィルムからボジに焼き直した物(フィルムはいろいろ使っています
83〜00年までは、主にCanonF−1
01年からは、主にCanon EOS−1
06年よりデジタル一眼カメラEOS kissDigitaruも並行して使用しています。
08年より2009年7月までデジカメ一眼 Canon 40Dを主力に使用しています。
09年8月より銀塩一眼EOS−1にて撮影をフイルムスキャナにて再び。40D水没したため。
10年よりデジカメ一眼 Canon50Dを主力に使用しています。
15年12月よりデジカメ一眼 Canon70Dを使用しています。 
17年よりコンパクトデジカメラ・オリンパスT-G4 併用使用
19年11月よりコンパクトデジカメラ・オリンパスTG−6を並行使用。
20年5月よりコンパクトデジカメラ・NikonクールピクスB600を並行使用。
20年7月よりデジカメ一眼 Canon6DMarkUを使用。21年2月Canon50Dを一回使用。
23年4月よりミラーレス一眼 EOSR7を主に使用。
24年5月よりコンパクトデジカメラ キヤノン・SX70 HS使用

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